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「JR津山線はいいぞ」は、岡山と県北津山を結ぶ地方交通線。非電化で、気動車の走る路線です。私鉄の中国鉄道として開業後、国鉄・JRと120年を経て、里山の中を巡り続ける、地域公共交通と、都市間連絡を担う「JR津山線■」を中心に、発信(応援)するサイトです。
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「岡山果物時間」キャンペーンに協賛して。ノスタルジー車両(キハ47×2)が、8月3日(土)に岡山⇒伯備⇒姫新⇒津山の県内一周ルートを団体臨時列車として(日本旅行)走りました。
伯備線内、総社では地元の山手福山合戦太鼓(子供・大人)、高梁では松山踊りの披露があり、新見では鉄道OB会の皆さんがお世話役で活躍。姫新線中国勝山では、地元ガイドさんの案内で町並み散策。
津山では、駅前からバスで市内野村の農園に移動。桃狩り(時間不足でバスに乗っただけみたい)JR職員の見送りで出発。津山線内の建部では、抽選会で景品をそれぞれGet。停車中に3列車をやり過ごしたのですが・・・。
岡山到着手前の、備前原、法界院間で、踏切直前横断(?)で急停車のおまけつき。姫新線内では、レール温度の上昇でウヤ 一歩手前だったと聞かされた、夏の「鉄旅」でした。膝の当たる固定BOX席では、長時間の移動はキツイ。
参加人数では、約90人で、募集人員を充足。遠くは千葉などからも参加とのこと。ちなみに同席の方は大阪でした
8:51
「団体」表示の列車案内
駅北の引き上げ線から入線
岡山⇒新見のスタフ
9:19-9:55
「山手福山合戦太鼓」の披露
列車の発車標の表示
従来,中庄で退避した「やくも」
10:18ー10:51
ホームのおもてなし
車内で踊りのおもてなし
やくもの追い抜き
11:28ー12:07
車両が運転区にひき上げるため乗客は全員下車。駅前に。
1・2番ホーム 定期の120
鉄道OB会の方々によるお見送り
伯備線から、直接姫新線のホームに入れない為、運転区に引き上げ
姫新線に入る為、1番に入線する列車
昼食「千屋牛弁当」に舌鼓
千屋牛とは
イラストをクリックしJA阿新
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12:58ー13:54
中国勝山では、地元のガイドさんの案内で町並み散策。
中国勝山のホームに停車中の列車
「昭和」を回顧
乗客持参の「サボ」を取り付け撮影させてもらいました。
当時の時刻表(復刻版より)
クリックして拡大⇒詳しく
車両のカラーリングは異なるが
今回の聞きかじり
谷崎潤一郎と勝山👈『津山瓦版』さんの記事にリンクします。
小説「細雪」等で知られる作家谷崎潤一郎は、第二次世界大戦後半、戦火を避け、神戸から、津山・勝山に疎開したことは知られていますが、偶々、今回地酒「御前酒」を買いに、紹介していただいた酒店に足を運んだ先が、谷崎の疎開先(現在は「旦酒店」)でした。店頭には、「細雪」と染め抜いた暖簾がかかっていました。
勝山は三浦氏が治めた城下町、出雲街道、大山道、高瀬舟の発着場として栄えた交通の要所。江戸時代迄は「高田の庄」と呼ばれ、町内から産出する黒色粘板岩で作られる「高田硯」も有名だそうです。又、この近くには、戦国時代勢力を争った、「尼子氏」と「毛利氏」それぞれの勢力が対峙した場所もあるそうです。
14:36ー16:18
発車にむけ3番線で停車中の列車
駅前から、中鉄バスで、市郊外野村(因美線 高野西北)のまほらファームへ
乗車したバスのカラーリングは「果物のイメージ」にピッタリ!シートもノスタルジーの対面直角シートにくらべ随分快適。(写真は中鉄バスのホームページから)まほらファームはこちらから
津山線のスタフj
(同乗の方が撮影)
建部では、上りとの交換、下り後続の退避等3本の列車に途を譲る。
(撮影:河西さん)
臨時列車ならではの「亀甲」通過
建部では、降車し、見学と大抽選会がありました。(撮影:河西さん)
18:32岡山着9時間余りの「果物時間」でした。
伯備線、姫新線、津山線と撮影していただいた岡本さんと、岡山と建部での河西さんの画像をギャラリーで紹介します。