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「JR津山線はいいぞ」は、岡山と県北津山を結ぶ地方交通線。非電化で、気動車の走る路線です。私鉄の中国鉄道として開業後、国鉄・JRと120年を経て、里山の中を巡り続ける、地域公共交通と、都市間連絡を担う「JR津山線■」を中心に、発信(応援)するサイトです。
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2018/10/7訂補
2018/10/21訂補
【姫新線は、大正12年の津山~美作追分の開業に始まる「作備線」が昭和5年の勝山~岩山間の開業により全通。一方姫路からは、昭和5年の姫路~余部開業に始まる「姫津鉄道」が変遷を辿りながら東西から延伸。昭和11年佐用~江見が開通し「姫津線」が全通し、「姫新線」が誕生しました。昭和30~40年代には、短絡線の特長を活かし急行列車が(岡山県北・鳥取~京阪神間)往来しました。昭和50年代に入り、中国道の開通で高速バスが走り出すと、そちらに移動手段はシフト。現在は、地域輸送を担っています。
岡山県北にある、湯郷、奥津、湯原の“美作三湯”は、姫新線沿線にあり、林野、津山、中国勝山は、それぞれの温泉への乗り継ぎ駅で、バス路線で結ばれていました
美作江見駅
美作千代(みまさかせんだい)駅
勝間田駅更新しました 2021-3
掲載駅を追加しました 2021-3
勝間田駅が、2021/2に改築されました。平成時代の初めに、沿線の各駅(主に、旧作備線区間)では、自治体により、特徴ある駅舎の改築が行われましたが、久しぶりです
モダンな新駅舎外観
入口からホームへの通路
ホームから新旧駅舎
この項2021/6/2追記
岡山県北には、多くの温泉が点在し、その中の主な湯原、奥津、湯郷の三温泉を美作三湯と呼び、西日本有数の温泉地です。これらの姫新線沿線にある温泉へ、行楽客を運ぶ目的で設定された列車の一つが「やまのゆ」です。
昭和20年代後半、総括制御が可能となり、気動車が全国の非電化区間に拡大していきました。30年代に入り、準急用車両としてキハ55系が登場すると、気動車の特性を活かして都市部から直接、地方線区と結ぶ優等列車が設定され、多様な用途の乗客に応える共に、行楽客を運ぶ所謂温泉急行も登場しました。
第①期(京都~中国勝山)
1964年~1968年
姫新線初の急行列車として登場(車輛は55系?)。当初は、週末運転の臨時で、京都~姫路は「だいせん」と併結。当時の準急「みまさか」と比べ停車駅も少ない(林野、津山のみ)。1968年に急行化された「みまさか」と統合。廃止。
第②期(広島~中国勝山)
(1968年~1972年※)
1968年秋改正以降、1972年の芸備線経由の「やまのゆ」登場迄の間、津山線経由で運行されていたのが、「週末やまのゆ」時刻表は、※1968年10月のもので、この時は、糸崎始発で、勝山、林野行の設定。
第③期(広島~津山)
(1972年~1980年)
1972年春改正以降、1980年秋改正迄、広島からの湯原や、奥津温泉への利用促進を図って、芸備線・姫新線経由で運行されていた列車。1979年、中国道が延伸されたことや、列車速度が遅いことなどもあり、廃止された。(ちどりと併結)
1972年の時刻表には、急行「週末ひるぜん」大阪~中国勝山という列車もみかけます。岡山~中国勝山の急行「ひるぜん」も走っている時代です。
1971年の津山線経由で運行されていたのが、「週末やまのゆ」は、広島発で、山陽線内は急行列車。
姫新線の佐用~新見については、津山で運行系統が変わります。
東方は、津山~佐用(美作江見・上月)、朝の通勤・通学時間帯の1往復が2両、その他は120の単行です。
西方は、津山~中国勝山~新見で、津山~新見のほかに、中国勝山を境に、津山、新見への折り返し運用もあります。
朝の通勤時間帯を中心に2両編成の運用もありますが、昼間、夕方も単行が走ります。以前は、40系が津山~新見を走っていましたが、現在は、中国勝山~新見は120のみの運用です。中国勝山では、夜間滞泊も設定されています。