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「JR津山線はいいぞ」は、岡山と県北津山を結ぶ地方交通線。非電化で、気動車の走る路線です。私鉄の中国鉄道として開業後、国鉄・JRと120年を経て、里山の中を巡り続ける、地域公共交通と、都市間連絡を担う「JR津山線■」を中心に、発信(応援)するサイトです。
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国鉄時代・国鉄からJRにかけ走った車両や、列車を振り返るコーナーです。写真提供は岡本さん
■「さよなら列車」
戦後の高度成長に大きな役割を担った、国鉄は、産業や大衆消費社会の変化により、昭和30年度以降、海運、道路輸送に対し相対的地位が低下し、経営は赤字に転じ、その後債務の増大もあり、経営は悪化していった。1980年に成立した、国鉄再建法に基づき、地方交通線に分類された路線のうち、平均輸送人員が4000人/日未満の路線は、「特定地方交通線」に指定されて、1~3次に分けて廃止対象路線とされ、順次、廃止又は、第三セクター鉄道に転換されていった。
石炭輸送の為、1913年に部分開業した漆生線。第2次廃止対象路線となり、廃止に伴う1986年3月の「さよなら漆生線」列車
「沿線の陸軍飛行場への輸送を目的に1939年に部分開業し、その後国鉄路線として延長開業。第1次廃止対象路線となり1986年3月に運行された「さよなら甘木線」。第3セクターの甘木鉄道に転換
1928年豊肥本線の立野~高森が宮地線として開業。第1次廃止対象路線となり、1986年3月「さよなら高森線」号運転。4月に3セクの南阿蘇鉄道に転換
沼津始発で客車4両で運転された「さよなら国鉄二股線号」。東海道線はEF58が牽引。二俣線内はDE10が牽引。1987年3月
1987年、国鉄時代最後の3月、豊橋~掛川~二俣線~豊橋で走った「さよならキハ20一周号」
■「電機」・旧型電車
ジョイフルトレイン「やすらぎ」を牽引する1936年製造のEF55(愛称ムーミン)製造当時は、流線形を取り入れるのがブームで、「流電」と呼ばれる、52系電車も同時期
1986年2月に、天王寺~御坊で旅客用のEF58、貨物用のEF15の重連で運転された「サヨナラ」列車
高速貨物列車専用機として開発され東海・山陽の高速貨物列車に使用されたが、1985年以降は、ブルートレインの牽引にも運用された
名古屋~信州のシュプール号の牽引につく、EF64(勾配線区用)。伯備線の貨物列車でも見られます
1968年から製造された交流直流両用電気機関車。トワイライトエクスプレス、特急日本海等の牽引機。後継機に置き換え進行中
お召列車牽引機として製造されたEF58-61。この日は団臨の牽引。東京総合車両センターで保管
関西を中心に活躍したEF58-150。後年茶色に塗装されたもの。一般色に戻されて京都鉄道博物館に展示中
鶴見線の大川支線で1996年迄運行されていたクモハ12は、戦前に製造された17m級3扉の旧型国電。両側に運転台を持つ
■往年の「名列車」
1964~1988年函館~東室蘭~札幌~旭川~網走を走ったロングラン特急「おおとり」 キハ82系
1986~94年に運行されたカートレイン(自動車・運転手、同乗者を輸送)名古屋 ユーロライナー車両と専用塗装の荷物車
1985年3月改正で583系交直両用特急形寝台電車での運用になった、大阪~新潟の急行「きたぐに」
24系客車を交直両用のEF81電気機関車牽引で走る特急「日本海(大阪~日本海縦貫線~青森)」
1984年~2008年 京阪神と鹿児島本線沿線を結ぶ関西ブルートレインの一員。
■団臨・ジョイフルトレイン
1988年3月に京都~長浜をC57-1牽引で走った、「長浜楽市号」。「北びわこ号」の元祖か。
悲運のジョイフルトレイン「みやび」
団体専用列車「いこい」(洋室・和室仕様の客車)を気動車2輌で挟んだ運用。その後のセイシェル
民営化直前昭和62年3月に走った「すきやねん国鉄 ご愛顧感謝号」旧型客車と、展望車をEF58-150が牽引
キハ58系改造のジョイフルトレイン(和室を主体に洋間も設置)ふれあいSUN-INの組み込まれた列車
和式客車「旅路」