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「JR津山線はいいぞ」は、岡山と県北津山を結ぶ地方交通線。非電化で、気動車の走る路線です。私鉄の中国鉄道として開業後、国鉄・JRと120年を経て、里山の中を巡り続ける、地域公共交通と、都市間連絡を担う「JR津山線■」を中心に、発信(応援)するサイトです。
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■最近の「津山線 」
津山桜まつりに合わせ、SAKU美SAKU楽による「夜桜号」が運転されました。土日には、一般色のノスタルジー(夜桜列車のHM掲出)との2両編成での運転されました。 撮影:岡本さん
津山さくらまつりに合わせ運行された「夜桜号」
津山方には「津山夜桜列車」の
ヘッドマーク掲出 往路‣金川
岡山方はSAKU美SAKU楽
復路の夜桜号 弓削
津山城のさくら
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・2022年の思い出(岡山DC)
・8/11「リバイバル砂丘」が走りました
撮影:岡本さん
8月11日に、キハ47ノスタルジーによる「リバイバル急行『砂丘』」が、岡山~智頭を走りました。 おか鉄フェス2022
往路 津山線(牧山~野々口
復路 因美線(美作河井~知和)
復路 津山線旭川橋梁を行く列車
詳細はこちらから
・因美線に「「みまさかスローライフ列車」、「あめつち」が走りました
撮影:岡本さん
■特集「急行 砂丘の走っていた頃」
今年の夏「おか鉄フェス2022」の一環として、キハ47急行色を使用した“リバイバル砂丘”が走ります。こちらから
急行列車が縦横に走っていた、あの頃を振り返ってみましょう
キハ47の国鉄急行色「ノスタルジー」
撮影:岡本さん
「岡山県北を走った優等列車」
「砂丘」
1962年に宇野~鳥取の準急列車として登場。1966年には急行に格上げ
宇野~岡山は、宇野~小郡(伯備・山陰・山口経由)「しんじ」と併結
準急「砂丘」運行開始
(中央町史から)
岡山県北を走る、津山線、姫新線、因美線にも、昭和35年に優等列車が登場します。
1960年代の時刻表をみると、以下の様になっています。
「ひるぜん」:中国勝山⇒津山⇒岡山
岡山⇒(ひるぜん)津山⇒(ひるぜん)⇒中国勝山・月田・上井
「みまさか」:中国勝山⇒津山⇒(みまさか・みささ)姫路⇒大阪
初期は準急型のキハ55系 林野
(美作市教育委員会提供)
大阪⇒(みまさか・みささ)津山⇒(みまさか・ひるぜん)⇒中国勝山・月田
「みささ」 :上井(倉吉)⇒鳥取⇒津山⇒(みささ・みまさか)⇒姫路⇒大阪
大阪⇒(みまさか・みささ)津山⇒(みささ・ひるぜん)⇒鳥取⇒上井
昭和40年代、高度成長期で人の移動も活発化、商用、観光需要等で利用客も多く、“みまさか”は3往復となり、“但馬”と併結する1号、3号では、姫路~大阪では13両編成で走っていました。
急行「みまさか・但馬」姫路
(裏辺研究所さん)
「分割・併合」の駅 津山
京阪神・岡山からの列車を、津山で、姫新線西方と因美線方面へと組み替える(逆も)、分割・併合がおこなわれていました
「砂丘」の躍進
昭和47年の、新幹線岡山開通を機に、「砂丘」は陰陽連絡列車として、3往復に増発されます。
その後、1985年には、1往復増 1989年には 5往復となります。
所要時間は、最速で、鳥取~岡山で2時間25分、津山~岡山が58分
使用車両は、キハ58,28、キロ28、キハ65。1988年からは、キロ28から半室グリーン車のキロハ28になりました。さらに、1992年以降、専用塗色とシートを0系新幹線のリクライニングシートへの交換等をおこなった、リニューアル車が登場しました。
「砂丘色」の基本編成に国鉄急行色を併結した列車(岡山 裏辺研究所さんのサイトから)
0系新幹線のシート(京都鉄道博物館の展示品)
「走行授受」
因美線(智頭~東津山)では、砂丘運行期間(~平成9年)は、通票閉塞であった為、通過する交換駅(高野、美作河井、那岐等)では、列車が走りながら通票(タブレット)を受け渡しする『走行授受』の光景みられ、多くの鉄道ファンで賑わいました。
向かい側ホームの階段のある台には通票授柱が設けられていました
「みまさかスローライフ列車」での通票授受のセレモニー 加茂
「転機の訪れ」
■中国高速道開通と、高速バスの運行開始
中国自動車道の開通と共に、1975年大阪~津山~落合インター高速バスの運行開始(国鉄バス・神姫バスの共同運行)
バスの運行や、モータリゼーションの拡大と共に中国道と並行して走る「みまさか」は利用客が減少。運行区間の短縮や減便の後、「みささ」と共に1989年に廃止。
■智頭鉄道線の開業 「スーパーはくと」の運行開始
高規格路線を高速走行する列車の登場で、京阪神対鳥取の短絡化がなされ、乗客が「スーパーはくと」へ移動し、「砂丘」は利用低迷。JRは、智頭鉄道の利便性を活用し、主に、岡山以西に利用客向けに、岡山~鳥取の「いなば」を新設し、1997/11「砂丘」は廃止に。
中国ハイウエイバス(津山)
「スパーいなば」にも使用中のキハ187
地元からの請願により、1往復が、急行「つやま」として残りましたが、キハ58系から一般形の40系となり“ぼったくり急行”と揶揄されながらも、最後の昼行急行として頑張りました、2009年に廃止となりました。
現在では、快速「ことぶき」が、岡山~津山の都市間連絡を担っています
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吉井川水系 皿川