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「JR津山線はいいぞ」は、岡山と県北津山を結ぶ地方交通線。非電化で、気動車の走る路線です。私鉄の中国鉄道として開業後、国鉄・JRと120年を経て、里山の中を巡り続ける、地域公共交通と、都市間連絡を担う「JR津山線■」を中心に、発信(応援)するサイトです。
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2018/10/6訂補
旧御津町の中心地。中世には山城もあった。江戸時代には岡山藩の陣屋もあり、又高瀬舟時代には近郷近在の物資を岡山へ運ぶ集散地(湊)として繁栄した。津山往来は、箕地峠経由だったからか、宇甘川北側では、宇甘川に沿う県道御津・高梁線(金川往来)に集落が続く。現在も、高校、病院、工業団地を控え、人の往来は多い。
宇甘川沿いは、桜並木。春は桜まつりも行われる。
宇甘川沿いに来た県道は、津山線をくぐり、53号線に合流する。
御津郷土資料館、鉄橋の近くの県道沿いにある
昭和42年美作の旧福渡町と備前の建部町が合併、建部町となる(役場は福渡)、建部には津山往来沿いに江戸時代の岡山藩の陣屋跡が残る。津山と岡山の中間にある福渡は、江戸時代奉行所や舟番所が設けられた要所。高瀬舟の時代は、津山から徒歩の旅人の宿場で賑わった様だ。中國鐡道開通後も、真庭へ旭川を遡る高瀬舟の湊として栄えた。街の大きさが当時を偲ばせる。
建部に残る津山往来の家並、陣屋跡
旭川沿い八幡(建部方)の舟のつなぎ石跡
八幡温泉たけべの湯。旭川を渡る列車を眺め、露天風呂につかる。
久米南町の中心地。平成の大合併も、現状維持を選択した。近世に成立したとされる久米南条郡の中心地で、久米郡として統合される明治33年迄郡役所や、税務署等もあり。駅舎も金川と同格。戦後は、「川柳で町づくり」を合言葉に弓削川柳社を母体に、「川柳の町」として活動。町内のあちこちに川柳の看板、商店街は暖簾がある。美作の国でありながらも旭川水系で、市外局番も岡山圏、病院や、老人福祉施設も岡山市との組合立で岡山市との結びつきが強い。
弓削駅前の川柳の句碑。川柳は町が戦後の復興の一助にと町内で普及に努めた
曲がりくねった津山街道沿いには古い家並も
「道の駅くめなん」はイベント開催などの拠点
現美咲町、旧中央町の中心地。近世に成立したとされる久米北条郡に属した豊岡村にあった、久米郡として統合された明治33年に郡役所が設けられた。津山に近接しており、高校等は統合され廃止されたが、現在も、警察署、銀行の支店もある。以前は、食糧事務所、法務局出張所等もあった。亀甲は駅近くの岩の名に由来するもの。現在は、百選に選ばれている棚田で産する「米」と、町内に立地した養鶏場で採れる卵で、町出身岸田吟香が全国に広めたと言われれる「たまごかけごはん」により町おこしを図っている。
28年秋の美咲芸術世界を機に駅前に描かれた壁画。駅を降り立つと目前に迫る。
亀を模した駅舎(町の活性化センター)は、全国で話題に遠路訪れた方も多いとか。今は「たまごかけごはん」の幟がはためく。
亀甲の街路。街路から、津山方を望むバイパスができる以前は、国道53号線。